ホームページリニューアルに向けて、自分の今までを振り返ってみました。「気楽に生きたらいいのに〜」と何度言われたかわかりませんが、こうして人生を振り返ってみると、性分なんだなぁと思います。

「幸せに生きる」という事を求めて続けてきたからこそ見つけた「今」があって、今自分でいる事がホッとできているからこそ「色々あったけど全部良かった」と思えます。長文ですが、これまでの道のりと、今の想いを書いたもの、良かったらご覧ください*

「生きる」ことへの問いのはじまり

幼い頃より“輪廻”や魂のこと、”なぜここに存在しているのか”という不可思議さを日々感じながら、(その頃観えていた)エネルギーで遊ぶような幼少期を過ごす。「ひとつの時代が終わり、始まるのを見にきた」という言葉を何度も内側の声として聞いていた。

10代の始め頃、発展途上国支援や障害者支援に携わる中で「幸せとは何だろう」という問いが芽生え、「社会・世界の平和は、国や組織が何か取り決めて成し得るものではなく、一人一人の心の平和からこそ始まる」という思いに至る。

しかし、豊かさ、幸せ、平和であると感じることは”何かが手に入る”とか”何かを成し得た”という一時的な形では続かない事を感じ「相対的な幸福ではない、真の幸福とは何だろう」と答えを模索し始め、”いかにして生きるのか”という”生きることの質”を問い、深め続ける事が人生のテーマであると感じるようになる。

「音」と「心」、歓びと挫折

10代半ば頃のこと。悩みから抜け出せないでいた友人に向けて歌をうたうと、その友人が涙を流し、ひとりでに何か答えを見つけ、表情がみるみる明るくなっていく、という出来事があった。

3歳の頃からピアノ、そしてその後合唱やブラスバンド等を通じ「音」に親しむ中で、心を穏やかにも悲しくもさせ、希望さえも与える「音」の存在を不思議に思っていたが、その時、形のないもの(音)が形のないもの(心)に与える影響に深い歓びを覚えると共に、「人が生きる力を取り戻していく姿」そのものに、深く感動する。

そこから「歌や言葉が相手の核に響き、変容していく」ような経験を重ねるほどに、それが自分の喜びであると確信。「自分自身が幸せを感じ、それが誰かの幸せの一助となる事」というシンプルな願いに向かって、歌手を目指す事を決める。

高校卒業と共に上京し、大手通信会社のCM歌唱やライブ、舞台等の様々な経験を積む環境に恵まれるも、「期待に応えたい」と思うほどに、軸となっていた想い、歌う喜びそのものを次第に見失っていき歌う事ができなくなってしまう。

「身体・心・魂」模索した20代

しばらく心が何にも動かない暗闇のような時を過ごしていたが、友人の勧めで受けたヒーリングで深い安心感を感じ「もう一度生きたい」という情熱が灯る。それまで「心」というものに重きを置いてきたが、「身体・心・魂」という、顕在意識を超えたところにある「私、という存在」に触れ、懐かしさと共に「真に生きる」答えがそこに在ると直感する。

オーラ・チャクラヒーリング&透視リーディングを1年かけて学び、24歳でヒーリングスペース空KUを開業。そこから多くの人に魂からのメッセージを届け、変容していく姿に立ち会う。しかし、本当の願いに触れても日常で真にそれを生き方に変えていく事は難しく、セッションが一時的な気休めや逃げになってしまう場面も少なからず感じ、一時活動を休止する。

平行して前夫とカフェ経営を経験するも、30歳目前で離婚。20代は「自分が幸せを感じ、それが誰かの幸せの一助となる」という願いに何度も希望を見出しては壁にぶつかり、「幸せに生きる」ただそれだけの事が、如何に容易ではないかを思い知る連続だった。

再び、音と歌の力に触れる

仕事も家庭もリセットした事で、これまで積み上げてきたもの全てを失ったような喪失感に沈み、しばらく塞ぎ込んでいた最中、ヒーリングセッションの際によく流していたクリスタルボウルのCDを手に取る。あらためて「音の力」によって自分自身が柔らかくなり意識が広がっていく事を感じ、立ちがる一つのきっかけとしてクリスタルボウル奏者になる事を決める。

奏法を学んだ師匠がマントラを歌いながら演奏をする事をレッスン初日に知る事となり、20代に生業にしていた「歌や音」と「ヒーリング」が融合していくように感じ、「何も失っていなかった」という想いに包まれる。

当初はあまりの恐怖で声がほどんど出せなかったものの、クリスタルボウルと共に歌う日々の中で、まずは自分自身が癒され次第に声が戻ってくることを体験し、それはそれは例えようの無い喜びだった。その体験が柱となり、日本では関東・中部・北陸・関西各地、海外ではタイの孤児院や仏教会館等での演奏会を行い、奏者の養成も行うようになる。

「空」という体験

クリスタルボウル奏者としての活動の中で、表現者としての葛藤や、一時的な癒しではなく生き方そのものを変容させるサポートへの想い、自分の存在そのものが一音一音となる、その一音への想いなどが募っていき、「苦しみから解放され、喜びに生きるにはどうしたらいいのか」と、その答えを求め何度もインドに渡るようになる。

寝る間も惜しんでサダナに取り組む中で、ある時身体の感覚が溶けていき意識がどんどん広がって、すべてとの境界が無くなるような意識状態を体験する。それは「私と思っていたものは、私ではなかった」という強烈な感覚、深い充足感を伴うもので、それまで大切にしてきた「空(クウ)」という響き「一切皆空(一切の存在は、すべて固定した実体ではなく空(クウ)である」というものの一端を感じられたような体験だった。

またある時には、創造のはじまり(後にそれが創造のはじまりと言われるものと一致していた)を体験。筆舌に尽くしがたいその瞬間を目にした時、”なぜ存在し、生きるのか”という問いの根幹に貫かれたような気がした。宇宙のはじまりから、今私自身がしている呼吸まで、創造があるというだけ。人は何かを成し遂げる為に生まれたのではなく、瞬間瞬間をただ生きる、存在しているという事がすでに喜びなのだと感じられた。

「パニック症」三度めの大きな転機

この体験は素晴らしいもので、家族との関係やあらゆる事が良い方へと向かっていった。そんな中、現在の夫に出会い結婚。順風満帆な始まりに思えたが、お互いに人生の転機を迎えていたこと、そしてそれぞれの生き様がぶつかる中でわかった事__それは、私の中にはっきりと苦しみや痛みがあったという事だった。

どれだけ外で取り繕う事ができても、パートナーは一番近くで、あるがままの私を映し出す。「空(クウ)」という体験が、私の在り方そのものにはなっていなかった事をみせてくれたのだ。「身体・心・魂」で言えば、「魂」は言うまでもなく「一体」である事が当然の世界であるが、「身体・心」には分離が深く刻まれている。では、その隔たりをどうやって溶かしていったらいいのだろう?

今思えば、私はその時「魂の世界を在り方にする」と決めてしまった。在り方はただただ自然に溢れてくるものなのに、「なろう」とした。強い信念を上から重ねていってしまったのだ。「一体だ」「本来は繋がっている」「足りないものは何も無い」「やりたいことはやれる」等々。信念のパワーもなかなかのもので、一見すると順調な時が続いたが、ある時、突然身体が悲鳴をあげる__36歳の時パニック症を発症する。

Authentic-Approachとの出会い

突然、息をするのが苦しくなり、意識を失いそうになる。それが最初だった。何が起きたのかもわからないまま、一時的なものだろうと何とか漢方を摂ったり海に入ったりと手を尽くすも、日を追うごとにどんどん何もできなくなっていく。激しい動悸で、時に全身がバクバクしたり、喉が強くしまって呼吸がしづらくなったり、血の気が引いて倒れそうになる等、日常が「死の恐怖」で覆われた。

どこまでも真っ直ぐに、「幸せに生きたい」と願って探求し続けてきた人生。自分も幸せで、周りとも調和する___そして自分らしい事で、世界と繋がって豊かに生きる。そこに向かってやってきた全ての事が何の意味もなかったんだろうかと、何も見えなくなった。何か「場」に恐怖があればそこから立ち去ればいい。でも、身体に存在している事自体が恐怖で、毎朝目がさめる度に、恐怖の1日が始まるという絶望感に覆われた。

悪化の一途を辿り、そんな日々が1年続いた頃、倉田良太氏のAuthentic-Approachに出逢う。その頃はもう漢方だけではなく安定剤も併用し、どう治していいのかもわからず心も折れていた。そんな中、当時自身のメンターを探していた夫がセッションを受けに行くという事がきっかけで、私も倉田氏のセッションを受ける機会に恵まれる。

忘れもしない、そのセッションで私は自分自身の「今」を知った。「なぜ私は今こうなっていて、何をすればこのパニック症を治すことができるのか」というのを明晰に図解し、見せてもらえたのだ。その衝撃と安心感はものすごいものだった。なぜなら「なぜ今こうなっているか」は言える人はいても、「どうすれば治るのか」という道筋が、あまりにも明確だったからだ。

「意識」と「現在の私」の隔たりが解けていく

そのアプローチは、言うなればスピリチュアルな世界で疎かになりがちな「どうすればいいのか」を意識(いのち)の視座からはっきりと示すものだった。「願いは叶う」「すべては繋がっている」「この世界は幻想のようなもの」「すべては自分が創造している」等___そう、それはわかる。わかるけど、どうしたらいいの?に明確に答えられるものに私は出会って来なかった。

自由自在な人生が叶っている人もいる、でも、叶わない人もいる。その境目は?「自分が人生を創っている」ならば、信じる強さなのだろうか? 現在地のあるがままの自分と、壮大な意識の世界、そこの橋渡しはとても曖昧で個々の裁量に任されてしまって、自由な人も生み出すかもしれないが、反対に、私のように苦しむ人も生み出してしまうものだと思う。

このアプローチに出会い、その「魂・意識」と「現在の私」の隔たりをどうやって溶かし繋いでいったらいいのかが明確になった。それは、意識が人としての生を体験する為に必要だった、分離させていったシステムを、一つずつ丁寧に解いていくということ。もちろんそれは一言でシステムといっても、一人一人繊細に違っていて、かつ無意識に必死でそれを維持しているので、たやすく数日で解いていけるものではない。

かくいう私も、約1年半かけてマンツーマンのセッションや少人数の講座で丁寧なサポートをもらいながら進めていった。そのプロセスに並走してくださった倉田氏の在り方は本当に素晴らしく、人が、気休めではなく真に変容していく事をサポートする覚悟と、愛と喜びを持って臨まれる姿は、人生の半分をサポートする側として模索してきた私にとって、「こう在りたい」と思わせてもらえる経験となった。

幸せとは、生きる力

意識との繋がりを、日に日に取り戻していった私は、最初のセッションから約1ヶ月で薬を手放し、日常生活が安心してできるようになり、半年で仕事を再開できるまでに回復。それだけでなく、いのちそのものから自然に立ち上がってくる才能を発見し、表現していく喜びまで始まっている。そして、共にこのアプローチを受けてきた夫との関係も、喧嘩がベースにあった生活が嘘のように自然体で思いやり溢れる、幸せな日々を送っている。

今、私の内側には「人は、今ここから、何度でも生き始める事ができる」「生きながら、生まれ変わる事ができる」という確信がある。それは、起承転結の1サイクルでは表現しきれなかった、紆余曲折なこれまでの人生、何度でも立ち上がってこれたという体験から来る確信。もう1つは、これまでの私が場所を変え人を変えて繰り返してきた「苦しみの種」を真に解いていけるアプローチに出会った事で、これから何が起きても越えていけるのだという確信だ。

「幸せに生きるにはどうしたらいいのか」というものの私なりの答えと方法に出会った今、「幸せ」とは「生きる力」だと思う。肉体を持って今ここに存在している私たちは、肉体やその他あらゆる現象は無常で有限である世界に生きているからこそ、刻々と移り変わっていくものの中で「生きる力」を持つことが「幸せに生きる」ことと繋がっているように感じるからだ。

「生きる力」は、もちろん「頑張る力」でも「我慢する力」でもなく、人として今を味わい尽くしながら、揺れ動きながら、しなやかに還ってくる事ができる力なのだと思う。それは、現象を超えた「意識・いのち」と「現在の私」の隔たりが解けるほどに育っていく。だからこそ私は、その2つの橋渡しをしていきたい___というのが現在の活動の柱となっている。

意識(いのち)からのWell-being

Well-beingという言葉が再び注目されるようになった今、「健康とは、肉体的にも精神的にも社会的にもすべてがWell-beingな状態」というWHO(世界保健機関)憲章の健康の定義は、時代が大きく変わろうとしている今、とても意義深いもののように思える。この憲章は1946年に生まれたものだが、半世紀過ぎても人が求める事は「健やかな身体と、健やかな心、そしてそんな健やかな自分が人や社会と繋がっていけること」だと感じるからだ。

しかし、分離というものがまだ当たり前で、自分の本音なんて抑えて生きるのが当然だった当時から、「すべてはひとつである」という事や魂の世界など、広く知られるようになった現代、「健康に生きる」という意味性が随分と変化している事を感じる。

Well-beingは様々な機関で測定、研究されているが「戦争、貧困、病気」という苦しみが取り除かれた今、人々を苦しめているのは「退屈」「満たされない」「生きがいを感じられない」等、「生きる事の質」にあるという結果が出ている。苦しみが取り除かれても、歓びを感じられる事が無ければ、人は「幸せな人生だ」と思えないのだ。

「分離の時代が終わる」という事がどこかでわかっている人は、次の「一体である」時代と現在の自分の隔たりで悩んでいる。本音で生きることと、社会(仕事等)が心地よく繋がらずに、もがいている。私もその一人だったから、心底それがわかる。

だからこそ私は今、これまで学び実践していきた Authentic-ApproachというものをOSとして、それらを繋いでいく活動を始めている。「意識・いのち」からWell-beingをサポートしていく事で、「健やかな身体と、健やかな心、そしてそんな健やかな自分が人や社会と繋がっていけること」は自然に起こる、という実体験からくる確信を持って。

「苦しみの種を解き、歓びの種を育てる」___私はそれをデザインと音でサポートし、また Authentic-Approachを学ぶチームと共に、「身体や心、意識」を総合的に新しい時代へ繋げていく事を、ここからの人生で真剣に遊んでいきたいと思っている。それが、「自分自身が幸せを感じ、それが誰かの幸せの一助となる」というずっとずっと願ってきた事であり、その先にこの世界が本当に素晴らしい世界となっていく事を心から信じている。